日常

『日本美の特質』

日本のオリジナルな造形意識を探求し続けたという著者、西洋の美学や美術論で「日本」を読み解いていくことに限界を感じたという。
そこで、いったん「白紙」に戻って、謙虚な心で美術作品なりを読み解き、日本のオリジナルな美の意味を発見することを目指した。
若干知識に頼っている部分があったけど、はっとさせられるところも多かった。
書き出しは「点」の認識からはじまる。
西洋はユークリッド的に点をみるが、日本では「広がりをもつもの」という独特の空間観念をもっているという。
それは「線」の捉え方にもあらわれている。
例えば城の石垣や櫛などの緊張感とハリのある直線。ユークリッド的にみると厳密な直線では、ない。ゆるやかにカーブを描いているのだから当然なんだけど、そのカーブは直線に緊張感や生気を与えようとした結果、生まれてきたのだからあくまで直線を意識してのこと。
伝統の中には直線を曲線化する独特の空間感覚があるようだ。
このことは、伊藤ていじ著『日本デザイン論』にもあった。【直線の変形(curved line)】、「曲線は直線のバリエーションにすぎなかった」ということ言っているが、両著者は本質的には同じ事を言っているようだ。
さらに、日本の絵画では、面は線でもあったという。かたちの本質が線に託されている。面どころではなく点の要素さえも線は含んでいて、その時々必要に応じて点にも面にもなることができるという線の認識は西洋とはまったく違う。
それは、どうやら西洋は「形」を写し取ることが中心の考え方だったが、日本は生命や精神を写すことを目標としたことに関係してくるようなのだ。
こうした考え方の違いは、空間把握の方法にも表れてくるから面白い。
遠近法と陰影図法、どちらも西洋が産み出した絵画のための科学。見たままを写し取るのにはかなり有効な方法だったろう。
だが、欠点はある。視点、光源を一点に固定することを前提として成立しているところだ。視点は固定されるのだから物質科学的に正確な空間を表現するのにはいい方法だけど、イキイキとした有機的な人間的な空間を表現するのは無理だ。
だからこそ、生命感や精神を表現したい日本は西洋がとって方法を選択しなかったという。
日本の伝統的なデザインの考え方で「余白」というものがある。
これについての根本原理としては、不用のものを削りに削って必要ぎりぎりのものだけを描いて、あとは空白にしておく、としている。単純に余白によりかかった考え方をせずに、意識して余白を使わなければならない、とも念を押していた。
方法論というよりも、もっと根本的なものを掴もうとしている著者の意気込みが伝わってくる。
作品だけではなく、その作者の心情や考え方まで迫る見方は、これからやっていかなければならないな。
日本美の特質