日常

「ニッポンのデザイナー展」セミナー3

フィギア

3/1の木曜日、「ニッポンのデザイナー展」関連セミナー最終回の第3回目があった。
ゲストは、建築家の隈研吾、千葉学、アートディレクターの佐藤卓。
かなり濃いメンツだ。今回のモデレーターは関康子、デザイン誌「AXIS」の編集長を務めたこともあるキレる人。
最初に関康子が思う日本のデザイン総観として、各ジャンルのデザインはかなり洗練されてきている。ただし、ある場所に各ジャンルのデザインを組み合わせた総合空間を構成したときには、まだまだ良い空間は創れていない、という。
セミナー全体をくくる大きなテーマは「環境とデザイン」。
【隈研吾】
「泥臭さ」をテーマにすることが多くなってきたそう。
ただ単純に伝統的な素材や工法を使うという
昔っぽさというのではなく「モダニティと泥臭さの両立」とでもいうか、しっかりとした現在の技術に裏打ちされた泥臭さが感じられるような建築、それでいてモダンであるデザインを思考しているそうだ。
【佐藤卓】
グラフィックはとても自由なもの。だから好きにできる、ともいえる。
どうとでもできてしまう所もあるので、しっかりと考えないとダメだと感じているそう。
とくに、どういう環境に自分がいるのかを考えないといけないという。そういったデザインの背景を理解してデザインしたい。そこに「責任を持ってデザインす」ということがあるからだ。無責任なデザインはダメだと感じているそう。
すでにあるものを「編集」することもデザインのうち。文脈を変えるということ。
自分の周りをよく観察して文脈を編集することを意識してデザインしている。
【千葉学】
住宅を建築するにはネガティブな環境も、そのデザインによってポジティブに感じられる様にしていくことをポリシーにしているそうだ。これは簡単なことではないだろうな。
建築は、その周りの環境によって、その佇まいが産み出されていると感じている。
建築とは、その場所に人が集まって過ごすものだと考えているそうだ。
と、ここからはディスカッション。
グラフィック・デザインのほうが興味あるからか、佐藤卓の話に惹かれた。
特に気になったのは以下のようなもの。
商品パッケージのリニューアル案件は、今までのデザインを受け継いでいかなければならない。人の記憶をどうやってつないでいくかがカギ。
さらに、その商品が置かれる環境を考える必要がある。やはりその商品が目立たなくてはならないからだ。
いつも何かしらの実験をしているような感じなんだとか。
隈研吾のするどいコメントも気になった。
「デザインしない」「おさえたデザイン」というのは、実はそこにこそものすごい力を注いでいるという。確かにその通りだと思う。
デザインは、現在あるものに対する批評行為でもある。これには納得。
全体的に共通しているなと感じたのは、そこにある情報をどのように分析して、形に定着させていくかを意識して実践しているところ。
話もこれまでよりも情報論よりでカタイ、濃い話。
セミナーもこれで終わり。ひさしぶりに良い企画に出会えた。