日常

『脳は絵をどのように理解するか』

遊具


知覚・認知システムの性質と視覚芸術の関係について組織的に研究された成果が集約された本書。なかなか難解なので、やはり読破するのに時間がかかった。
1章づつ噛みしめるように読んだからだ。
まずは、大前提となることから定義されていた。
「見ることの二重性」、見ることは、目の刺激作用と脳による感覚情報の解釈によってなされる、というもの。目で、光を受け止め像を映し出し、脳で、像を観て解釈するということが第一歩として重要だという。
よく知られているように、光は波長であり、その波長の全範囲を検出できる器官を持つ動物は存在しない。光の波長をどの範囲で検出できるかが、その動物の視覚世界を決定してしまう。
この光の検出は、静的なものではなく動的だ。絵の全体を一度に捕らえることはできない。というのも、人間の目ではっきり見える範囲は眼球の中心から1~2度程度までだからだ。部分部分のスナップショットから全体を認識しているということになるという。
知覚の進化のもっとも興味深い側面は、外界の対象を見る感覚システム(目)と外界の対象を解釈する神経ネットワーク(脳)とが互いに補いあいながら同時に進化してきたことだというのも納得できる。
美術との関連でいうと、生存のために重要な視覚から得られる問いは
1:対象はなにか
2:どこにあるのか
3:なにをしているか
ということになる。これは、美術を分析する際の中心的なトピックスと重なるのだそう。
美術は、芸術家と美術作品を見る者の構造と知覚を反映している、ということもできると断言している。科学的な裏付けがあると、すんなり納得できる。
科学的な分析から、人間の視覚的認知を理解するためには三つの段階を考える必要があるという。
1:形、色、輪郭、コントラストや動きが検出される。
2:原素的特徴が、基本的形態へと体制化される。
3:長期記憶に貯蔵されている知識との連合を通して、基本的形態に意味が与えられる。
この三段階を考えると、
美術作品を見るということは、基本的な形を検出、パターン化して脳に送り、その印象を世界に関する広汎な知識に結びつけ、それによって推論を行うということになる。
もっと言うなら、三次元の世界は、二次元の目によって記録され、脳によって三次元的に解釈され直す。
こんな感じで、感覚システムと神経ネットワークを意識しながら展開していくので、読み進んでいくうちになんとなくこの考え方にも慣れてくる。
日頃からこうして分けて考えることで、なにが表現のキーポイントになるのかが分かってくるような気がする。
例えば、『モナ・リザ』を観るとする。
基本的な視覚情報は、誰でも同じように体制化されると言っていい。しかし、その基本的な形態から引き出される「意味」には大きな個人差がある。絵画に対する知識、世界に対する広汎な個人的知識、興味の文脈などが美術作品を観る際の文脈に影響してくるからだ。
言われてみれば当然なことだけに、これは重要だろう。
絵画などの芸術には、脳で観るということは、かなり重要だ。
どうも普通は、必ずしも対象が実際に見えるようにではなく、対象がどのように見えるはずかという、すでにもっている考えによく適合するように対象をみてしまうらしい。
読み進めるうちに、科学と美術がより深いレベルでは同じだと感じることができる。
最初は、科学と美術を分けて考えていくが、それぞれを追求していくうちに、その境界がだんだんとあいまいになっていくのが、本書の楽しいところだと思う。