日常

『季刊d/SIGN(No.5) レイアウト宣言』

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季刊デザインの3冊目を読み終えた。もう11号まで発売されているけど、特集がおもしろそうなものを選んでランダムに読んでいる。今回は「レイアウト宣言」という特集。
レイアウトという方法を、思考の跡、情報と情報の関係というように深く捉えて展開されていた。
書籍のレイアウトでいえば、詩集の余白のとりかたはデリケートなものだということは知られている。文字で伝えられること以上にそのレイアウトが生み出す空間が語ることっていうのは、詩集では多いんだろう。
精神科医、心理臨床家などが用いる「箱庭療法」「風景構成法」なんかは、人の心理がそのレイアウトに現れてくる。逆にレイアウトが人の生活にに与える影響が大きいのは住宅の「間取り」だった。時代によって求められる間取りは違うが、基本的な構造はほぼ変わらないという。ただ、それはメタ・レベルの話で一人一人の求める住まいのカタチが細部にわたって違う。デザイナーズマンションだとか、こだわりの一品が次々に登場してくるあたり、「間取り」が与える影響は大きいということなんだろうな。
仕事の手順やシステムといった目に見えない情報の流れも「ワークフロー」というレイアウトにして把握することができる。
そう改めて言われるとなかなか新鮮だ。コンピュータの世界では「流図」「フローチャート」というものがプログラムの設計ではかかせない。まさに情報の流れを記号を使って定着させていくもので、これを描きながら思考を整理していく。
大学では毎日こんなことやってたな、そーいえば。めんどくせー、とは思いつつも図にすると考えはまとまってくるものだった。
「内と外」という考え方でおもしろいものがあった。
携帯電話がではじめたころ、「プライバシー」はどーなるんだ、なんてことがあった。これではどこにいてもつかまってしまう、監視されている、ということだ。
でも、今はどうか。
携帯電話がないと不安でしょーがない、という依存症がでてきている。
常につながっていないと不安だということ。
まとめていうと、
「監視されている不安」
よりも
「自分は誰からも見られていないのではないかという不安」
が支配的になってきている、という。
もっと端的にいうと、
監視社会に対して「見られていたい、監視されていたい、そーじゃないと不安だ」ということ。不安がメディアのせいで逆転しちゃったってことで、これってちょっと恐いと思った。監視社会に協力するようになったらSFじゃないけど、産まれたときからDNAやら管理されて、生きてきた軌跡がすべてどこかに保存されるなんて社会がくるんじゃないか、なんて余計なとこまで考えが飛んでしまう。
レイアウトを何かと何かの関係として捉えると、これほど広域にわたって「レイアウト」として考えることができるものだと改めて知った。
季刊d/SIGN―事態とメディア、生命の現在を透析するグラフィックデザイン批評誌 (No.5)