日常

「技術」と「表現」

bicycle

『PHaT PHOTO』2005.SEP-OCTを手にとった。最新号。この雑誌を買ったのは初めて。
ちなみに、PHaT = Pretty Hot and Tempting。
特集は、写真を売るためのいろいろな方法を採り上げていた。Photoshopを使った写真表現のひとつの方法も編集されていてお得感のある号。
なかでも惹かれたのは連載記事「写真好きのためのアート論」。藤田令尹(ふじたれい)というアートライターが書きつづっている。「美術界にありがちな”難解な評論”を排し」た、つまり、わかりやすいアートレポートをモットーにしているそう。
『「正しい」ことはいいことか?』と題した今回は、日頃から意識していたことだけに共感できる内容だった。
ゴッホのエピソードが例として載っていて、ああ、なるほどと納得。
たしかにわかりやすい。
ちょっと気になった部分を抜き出すだけでなにが言いたいかはすぐに理解できると思う。
・「技術」と「表現」は別物なのである。
・ヴィーナス像をどれほど忠実にデッサンしたとしても、正確な「技術」とはいえても「表現」とはいえない。
・技術的にいくら秀でていても、それだけではすぐれた作品は生み出せない。
・大事なのは、写真が「正確に撮影されているか」よりも、写真が「何を語っているか」である。
・「正しく」より「自分らしく」という視点で考えてみたい。「自分らしい」アングルとは?「自分らしい」露出とは?「自分らしい」光線とは?「自分らしい」フォーカスとは?
そういうことだ。
これを考え抜いて、「自分らしさ」を磨いていった者が写真作家として活躍していることは確かだし。
これは写真だけのことではないと思う。
日本の写真雑誌についても触れられている。これも共感できる内容、かなり前から気になっていたことだ。
大半の写真雑誌は「機材レポート」ばかりが目立つ。
性能競争ばかり読んでいて何になるのだろう。
プロは結果を出さなければいけないし、それには道具も適正なモノを選択できて当然なんだけど・・・。
それにしても、何かを「表現」したくて写真をとっていたり、クリエイティブな仕事に就いているのなら、「技術」と「表現」を切り離して考えることを忘れたくない。
PHaT PHOTO