日常

自分なんて「駒」でしかない

ほぼ日で<ほんとに成功する法則。>というものがあった。
●ゲーム≒人生
という感じで見立てているね。
そのゲームを構成するには、ゴールがないといけない。
●目的≒夢、目標、ゴール
というわけで、目的を設定しないとゲームもはじまらない、と。
でも、目的に何をいれるかが意外と難しい、という話も。
●駒≒プレイヤー、自分、主人公
ゲームを始めるには「駒」が必要。
駒に見立てることで客観的に自分を分析できる、というわけ。
ちょっと引用。
「「駒」の視点から「有利・不利」「よい・わるい」が、
まず、決まる、自動的に決まる。
「駒」じゃない「じぶん」としての判断が、
参考意見として必要になる場合もあるけれど、
そういう場合も、「目的」から考えてジャッジすること。」
で、ゲームし続けることが大切だ、と。
引用すると、
「最後に、「成功」は、
実現するまで追求していくこと。
「まだか‥‥」とか「だめかも‥‥」とか、
勝手に終わりにしないことだろう。
あらゆる「ゲーム」は、参加している間は、
「生きている」ってことなんだよな。
誰から見ても「おしまい」に見える「ゲーム」でも、
「主人公」が「目的」から目を離さずに、
プレイを続けているかぎりは、続いているんだ。
これがいわゆる「夢をあきらめないで」
というふうに歌われる世界だ。」
これはその通りかと。
ゲーム始めるのはもっと早いほうがよかったかな。
ゲーム時間には制限時間あるしね。
ゲームしてるほうが楽しいね、やっぱ。
もちろん「ゲームしない」という選択肢もあり。
ものすごく客観的にあっさりと重いことを言っていて、おもしろいし、共感できる。
読んでみるといいかも。
ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム http://www.1101.com/darling_column/2009-08-03.html