日常

ブラックボックスの中で

TV

「有頂天ホテル」が順調に売れているようで、三谷幸喜監督作品をテレビで放映していた。昨日は「みんなの家」で今日は「ラジオの時間」。
モノをつくる人にはズキンとくるところがどこかしらあるんじゃないかな。
「妥協のかたまり」なんてズバリといってくれる。
ラジオを聞いている方は、そのアウトプットしか知らない。それがどんなプロセスで生み出されたものかなんてどうでもよく、今どこかからアウトプットされてきたモノがいいか悪いか、だ。
それは、ラジオだけではなく、メディアでも、例えば、テレビ、新聞、雑誌でも同じこと。だいたいの予想はつくにしても、プロセスはブラックボックスになっている。
そのハコを解体しておもしろくストーリーにしてしまおうという分かりやすい設定だった。しかもこの業界はそれぞれの人の役割が分かりやすい。
何のためにやってるのか、誰のためにやってるのか、いろいろ分からなくなったとしても、走り出した以上はなんとかゴールしないといけないのはみんな同じなんだなあ、やっぱり。アウトプットを受けとる側にしてみれば、制作者の事情なんて知ったことではない。そういうところも外さずにストーリーにいれてくれた。
「制作に関わっているすべての人が納得したアウトプット」ってどれほどあるんだろうか?もしかしたら、ひとつもないんじゃないか、と思ってしまうなあ。期日通り、依頼通りにやりきることがプロだとしても、そこに「全員の納得」というものをつけたいものだ。
「みんなの家」も「有頂天ホテル」も人間くさい限定環境下でのブラックボックスのプロセスを面白く描いたところは共通するなあ。
そのうち見に行こうかな「有頂天ホテル」。