イギリスの大学でこんな課題がでたという。
「エルゴノミクスデザインのエッセイ。エルゴノミクスの観点からみて、いいデザインと悪いデザインのプロダクトを1つずつあげて、それに対して語る」
おもしろそう。
なので、いろいろと考えてみた。
まず「エルゴノミクスデザイン」ってなによ?
というところから把握する必要があるなあ。少し調べてみると、
「エルゴノミクスとは人間工学の意味である。人間工学というのは、機器やシステムを人間の特性に適合させることを目的として人間の心理的身体的特性を明らかにし、またそれを機器やシステムの設計に提要するための方法論を研究したりする分野である」
黒須教授のUser Engineering Lecture
なるほどー、つまりユーザーの側にたって、ユーザーの特性にあったものをデザインするということか。ま、それにかっこよさやクールな部分があったら、なおヨシだな。
で、なにをもってあるプロダクトのエルゴノミクスデザインの良いと悪いを分けるのか?
これも明快な言葉にする必要がありそう。しっかりとした「評価軸」をつくっておくと語りやすいというもんだ。
「どんな状況でも使いやすいか」
「使い心地」
「使っていて、疲れないか、ストレスなく使えるか」
これで基本はいいかな、あとは個人的に
「かっこよさと使いやすさの同居」
でも、いまさらだけど、
「かっこよさ」とか「使い心地」は、主観的な要素だからキケンかなあ。
で、実際にプロダクトを探すときはどうするか。
簡単なのは「文句をつける」こと・・・かな。
たとえば、
「このイス、座ってると絶対コシにくるんだよなあ」
「このリモコン、どのボタンを押したらいいかよく分かんない」
「あの扉って、引くんだっけ押すんだっけ、スライドだったかな、もしかしたら自動だったかも」
「あー肩こるなあ、このキーボード」
「このクルマ、後ろよく見えねー」
「このペン、指痛くなる、持ちづらいんだけど」
「この蛇口、どっちにまわすの?」
「レディングに入るときに使う入口にある学生証を通す機会、あれさあ、なかなか1回で通れないんだけど、なんとかなんないの?」
ほら、なんか見えてきた気がしない?(笑)
たぶん文句をつけることができたジャンルのプロダクトには、
エルゴノミクスデザインの「良い」と「悪い」の両方のプロダクトがそれぞれあるはず。
イスなんて、わかりやすいね。オーソドックスすぎかな。
だったらクルマとかは?
運転席に座るドライバーは、安全かつスムーズに、できれば速くクルマを操る必要がある。そのために、席から動かず、できるかぎり目線を前方にむけたまま全てのことを管理・使用できるのがベストなんだから、語るところは多そうだ。
音楽きくためにちょっと前のめりになって視線が下にいってしまうようでは、ダメだ。だから、いまではハンドルにたくさんスイッチが着いていて、ギアチャンジからオーディオ操作までできるのなんて当たり前。さらにほかの操作もできるものがあるかもね。メーター類の位置、シートの位置など全てにおいてできるだけ動かず、視線を下げないように工夫されているデザインがあるよ、きっと。今のクルマには。昔のクルマと比較するとおもしろいかも。
あと身近なとこで家電。
冷蔵庫の冷凍室と冷蔵室の位置が昔と今では逆になってる。よく使う冷蔵室が上にきてる。ちょっと下に付いてたら使う度にかがまなくちゃいけないし。
ドラム洗濯機もかがむのが負担になるから、ドラムのほうを傾けちゃったし。
これは、クルマよりも語りやすいかな、日常的で。
聞いてるほうも「そうだよなあ」って納得してくれそうだ。
日常生活で「つらい」「使いにくい」をユーザーの視点に立って解決していたら、良いエルゴノミクスデザインといっていいんじゃないかなあ。それが解決できないもの、形だけそれらしくして「人間工学的に考えられたデザイン」なんて言っちゃってるプロダクトは悪いエルゴノミクスデザイン。
そのプロダクトがカッコよくてコストの問題もクリアしていたらサイコーだね。
最後に、この手の話にはとてもためになる本、こーいう勉強をしてるってことは、もー知ってるかもしれないけど『誰のためのデザイン?』というD.A.ノーマンの著書から抜粋。この考え方、大賛成。
「日常のデザインが美しさ第一主義によって支配されているとしたら、毎日の生活は目には楽しいかもしれないが、あまり快適ではなさそうだ。使いやすさ第一で支配されているとしたら、過ごしやすいかもしれないが、見栄えはよくないだろう。生産コストとか作りやすさが優先すれば、製品はあまり魅力的ではなく、機能的でもなく、長持ちもしないだろう。明らかにそれぞれの配慮にはそれぞれの長所があるのだ。一つのものが他をすべて差し置いて優先されるとき、問題が起こるのである。」
誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論