日常

『普通のデザイン』


内田繁デザイン論の新刊、これは読むしかない。内田繁のデザイン論は、まさに目指している方向と一致しているからだ。今回の書名でもある「普通のデザイン」もやはり意識していることだった。
デザインとは、決してグローバルとかユニバーサルなものではなく、地域それぞれに固有的であり特徴的であることは、世界的にみても当然のことだという前提から話ははじまる。イタリアはきわめてイタリア的なデザインだし、フィンランドのデザインはフィンランド固有の文化に根ざしている。当然日本のデザインも日本文化から育って来ていることを忘れてはいけない。
どれほどテクノロジーが発達しようと、どれほど情報化によって世界が一元化しようと、デザインは地域や民族の固有文化、伝統の上に成り立っている。
ずっと言われて来たことだけど、日本の空間概念「ウツ」に関しても具体的にふれていた。日本における空間は「デザインに先行するもの」や「形の固定化」ではなく、「ウツ」という枠組みだけが存在し、何かの行為や行事とともにその姿が立ち上がると説明している。
その他にも日本の空間の特性をキーワード化していたのが印象に残った。
●床の重視/坐る生活を前提とした建築
●仕切りの構造/認識的で非固定的
●仮説文化/認識としての空間
●水平の感覚/意匠の直線性
●空白の領域/未知と既知、聖と俗などをつなぐ空間
以上のポイントから、デザインにとって最も大切なのは観察だと言えるという。
文化の違いとしておもしろかったのは「仕切り」に関して。
一般に空間の分割は壁などの物理的なもので仕切る。だが日本では、障子などのように物理的には強制力の薄い認識的なもので空間を境界し隔てている。物理的な存在は力によって排除できるが、認識は簡単には消し去ることができない。日本はこういった空間感覚に敏感なんだろう。
だからこそ「ぼやけた仕切り」を採用して連続させながら分割するという日本の方法を生み出したのだろう。
現代の日本のデザインを特徴づけているものは、あくなき単純化だという。単純化によってものの真の姿が浮かび上がるとする思考がさらなる単純化を導く。その背景となる伝統的な方法は、「素空間に変化をあらわすものを配置することによって、さまざまな状況をつくりだす」というもの。
弱さという感覚世界を生み出す状況や状態について考察している部分も参考になった。
●自然性/自然を観察し学んできた文化。無常観。
●可変性/現実は空なるものから生まれ、つねに変化を前提とする。
●瞬間性/無常観から生まれる「いま」という思想。
●境界性あるいは周辺性/中間領域を「空白」ととらえ、無化し、何かと何かをつなぐためだけの領域とした。こうした領域や周縁にはAでもBでもないもうひとつの世界が浮かび上がる。日本の多くのデザインはここにこそ関わってきた。
●フラグメントあるいは断片性/部分と全体とが見えない世界でかかわっている。部分の連続によって全体をつくり出す。
●装飾性/装飾が機能的な価値から離れ、人間の内面に作用するということをあらためて考える。
●身体性/誰でもどこでも使えるようなものは、ものと人間との交流を薄くす。人がその場所、時間に求めるものは、それぞれ異なっているのだから、それを考慮して作らなければならない。
●記憶性/個人的記憶、集団的記憶、前文化的記憶に基づくものの見え方に注意する。自分が知覚できない意味は見えてこない。
●日常性/日常生活をおくるために繰り返される基本的動作を観察し、研究することで、人と向き合ったデザインを生み出すことができる。
これら「弱さ」からくるデザイン表現の方法も具体的に示されていた。
●微細性/細く、薄く、軽いというあやうさが人の心の隙間に作用して、愛らしさの感覚を作る。
●可変性あるいは変化するもの/あるものの移動だけでその場が一転するような変化を日本文化は重視してきた。
●不明瞭性/あいまいさと不安定さが、人間の心にある何かを刺激している。
●非固定性/デザインは国境を越えた普遍性を指向するが、どうしても国境をもたざるをえない。人は非固定的なもののうちにこそ、故郷を見いだす。
●有機性/自然現象、水、風、火、土、木などの性質を利用したもの。
この「弱さ」というキーワードは、美の根源をなすものであり、そうした美は人の心に深い影響を与えるとしめくくられた。
これまでの話から、最終章にはいってようや本書のタイトルにある「普通の」デザインとは何かというくだりに入る。
人の日常生活が冷静なものであるようにデザインとはもっと冷静なものだ。
と、いう著者の考え方が根底に流れている。
その上で、「普通」というのはある共通した視点を必要とする尺度であることが語られる。いわゆるスタンダードと言われるものも特定の文化、環境下では意味あいがちがってくるからだ。「普通」とは必ずしも世界の共通認識ではないようなのだ。
これからの課題として、それぞれの民族、文化がもつ固有性を理解した上で「普通」を見つけていくことだという。
そのヒントとしては、民族や文化とは関係ない人間の基礎生活における認識にあるのではないか、とも語る。
「普通のデザイン」とは日常をみつめることから始まるようだ。